2011年 01月 06日
鶏舎にて② |
朝7時ころの日の出と朝焼け。
元日には残念ながら雲が厚くて初日の出を見ることができなかった。
およそ四半世紀前、岐阜県の中濃・東濃地方ではIターン帰農の初めの波があった。
そのうちの多くの人たちが平飼いで鶏を育て、タマゴの売り上げを現金収入の柱にしていた。
そして、そこで出た鶏ふんを使って田畑の土づくりをして農薬と化学肥料に頼らない農法を展開していった。
自力で鶏舎を建て、生まれたてのヒナから導入し約半年、初めてのタマゴを手にしたときの感慨は自分が百姓として独り立ちしていくスタートの喜びでもあった。
当時みんなが学ばせてもらったのが、下呂市金山町在住の中島正さんが書いた「自然卵養鶏法(農文協刊)」である。
この本は単なる技術書ではなく、カネに縛られずいのちを育む中島流農本主義思想を説いており、そこに共感したからこそ多くの人がが鶏を飼おうと考えたといえる。
我が家も6棟の鶏舎で一時期は400羽を超える鶏を飼っていた。
近くの町の団地で見本を配って引き売りしたりもしたが、名古屋の共同購入団体「くらしを耕す会」への出荷をはじめ口コミでも広がって、今もたくさんのの方に食べていただいている。
しかし多くの百姓仲間が鶏を飼うことをやめた現在、我が家でも羽数を減らして配達地域を狭め、年1回だけヒナを入れて育てている。
ただ申し訳ないことだが、いずれ遠くない時期に鶏舎や鶏ふんを片づけてこの仕事から撤退しなければならない。
体力があるうちにやらないと家族や地域に迷惑をかけることになる。
たとえ後継者がいても、設備は更新する時期をとっくに過ぎているし、鳥インフルエンザの問題が常に影を落とす限り、残念ながら勧められる仕事ではなくなってしまっている。
元日には残念ながら雲が厚くて初日の出を見ることができなかった。
およそ四半世紀前、岐阜県の中濃・東濃地方ではIターン帰農の初めの波があった。
そのうちの多くの人たちが平飼いで鶏を育て、タマゴの売り上げを現金収入の柱にしていた。
そして、そこで出た鶏ふんを使って田畑の土づくりをして農薬と化学肥料に頼らない農法を展開していった。
自力で鶏舎を建て、生まれたてのヒナから導入し約半年、初めてのタマゴを手にしたときの感慨は自分が百姓として独り立ちしていくスタートの喜びでもあった。
当時みんなが学ばせてもらったのが、下呂市金山町在住の中島正さんが書いた「自然卵養鶏法(農文協刊)」である。
この本は単なる技術書ではなく、カネに縛られずいのちを育む中島流農本主義思想を説いており、そこに共感したからこそ多くの人がが鶏を飼おうと考えたといえる。
我が家も6棟の鶏舎で一時期は400羽を超える鶏を飼っていた。
近くの町の団地で見本を配って引き売りしたりもしたが、名古屋の共同購入団体「くらしを耕す会」への出荷をはじめ口コミでも広がって、今もたくさんのの方に食べていただいている。
しかし多くの百姓仲間が鶏を飼うことをやめた現在、我が家でも羽数を減らして配達地域を狭め、年1回だけヒナを入れて育てている。
ただ申し訳ないことだが、いずれ遠くない時期に鶏舎や鶏ふんを片づけてこの仕事から撤退しなければならない。
体力があるうちにやらないと家族や地域に迷惑をかけることになる。
たとえ後継者がいても、設備は更新する時期をとっくに過ぎているし、鳥インフルエンザの問題が常に影を落とす限り、残念ながら勧められる仕事ではなくなってしまっている。
by ruby49er
| 2011-01-06 18:56
| 山村暮らし